作成日:2020/01/09
西高の思い出
ところで、私の西高の思い出です。
私の期は生徒が、9クラス400人でした。私は当麻町から汽車で西高(最初の2年間は今のときわ市民ホールのところ、最後の1年間は川端の新校舎でした)に通いました。
中学校の時、「旭川のどの高校も受かる」と言われていましたが結局西高に進学しました。
西高に入学してから、成績が上昇を続け、3年生の時にはついに学年(400人中)トップになりました。当時西高は、理数科の他、3年生になると、就職するクラス、私大文系、国立文系、理系のクラスに分かれました。
当時の私は、一番得意な科目が化学で模擬試験・実力試験でも満点近くで全道の上位に名前が出るほどでした。英語も全道の上位に名前が出ました。数学も得意でした。つまり完全に理系です。でも、志望校は北大文系でした。
U先生のアドバイスで理系のクラスに進んだのですが、やく半分(物理、数V、理系の各種実験他)が受験に関係のない科目で受験には不利であり、苦しい思いもしました。
第一志望は北大文系で、試験後の自己採点で余裕で合格。ちなみに医学部以外、全ての学部が合格圏内でした。滑り止めの国立大学二期校は受検せず。私の大学受験の経験はただの一回、北大文系だけです。
旭川西高
