作成日:2022/03/19
佐藤進 先生の思いで 他・絵画に関する思い出、家内の逆鱗に触れた思い出
私は小学校の時、一番得意なのは絵を描くことでした。中学校に進んでからは吹奏楽部の入り、「学校はクラブ活動をするために行く」といった状況で音楽も得意になりました。
一方中学生になると、絵を描く機会は減りましたが、相変わらず絵を描くこと、ことに風景画を描くのは得意でした。
学年全体で校舎周りの風景を描く写生会がありました。私は学年270人中最優秀賞を頂きました。私の絵のタイトルは、「美中の美」=手前味噌な話ですが、「私の絵は美しい」との思いです。山とか木とか草とか、何気ない風景を描くのが好きでした。
社会人になり、絵を描くことはますますなくなりましたが、絵画展を観に行くはよくあります。
結婚して数年後、絵画展及び販売会のイベントがあり、家内に「ちょっと行ってくるは」と出かけました。
帰りには、思わず買ってしまった絵を抱えていました。お金がないので月賦支払いです。結構な値段がしました。
この時、家内の逆鱗(げきりん)に触れ、凄まじい夫婦げんかになりました。
37年前くらいに買った絵、今でも家内の反発にあっています。この大事な絵はだれにも見えないところで、ひっそりと飾られています。
最後、旭川の有名な画家、佐藤進(すすむ)さんの話です。風景とか、旧旭川偕行社の絵が多いです。
アートホテル旭川の一階に佐藤氏の旧旭川偕行社の絵が、エスカレータの登りの左側壁面に描かれている。知っている方は少ないかと思います。
佐藤進(さとうすすむ)【略歴】 1914年 士別市に生まれる
1934年 北海道旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)本科卒業、1935年 同専攻科卒業 旭川市立女子商業学校勤務、道立旭川商業高等学校勤務
1952年 道展旭川支部を結成し、事務局を担当、1959年 旭川市文化奨励賞受賞
1975年 旭川市文化賞受賞、1981年〜1984年 北海道拓殖短期大学教授、1992年 死去
今から、38年くらい前、佐藤先生がまだお元気で、絵の制作をされている頃、何回も先生のお話を聞く機会がありました。
一番印象に残っているのは、絵の作品を購入する場合は、「まけて下さい」と言ってはいけない。とい話です。なぜか?
仮に50万円する絵をまけてもらって、30万円で買ったとします。すると、本来50万円の値の絵が、その安く買った方には30万円の値しかない ことになります。
この時に佐藤先生のお話は、心にしみていて、今の私の仕事も、まけることは原則しません。相手(お客さん)にとっても、値の下がる仕事になります。
写真は先日紹介した私が持っている、佐藤先生のものと思われる絵です。100号はあると思います。1961年とあります。(1号が4万円とすると、400万円になります。売ることはありませんが、我が家のお宝です)
別な絵は、佐藤先生の絵です。私の絵と似ています。
この様な、素晴らしい画家が旭川にいたことを是非、忘れないで思い出していただきたいと思います。
最後の絵は、37年くらい前私が月賦で買った絵です。確か、浅見澄夫氏の「緑陰」のタイトルがついていたと思います。(反射していて見ずらいですが)


