作成日:2024/06/13
今はみすぼらしい「上川郡農作試験所事務所棟(忠別太駅逓)」
1886年(明治19年)に北海道庁が農産試験所事務所として建設したものです。
内陸開発の拠点として道庁が上川を選定したことにより、岩見沢と忠別太を結ぶ上川道路(現国道12号)の建設がはじまったのと同時に農業の適性を見極めるために建てられたものです。
その後、上川道路の沿線には5つの駅逓(第一美英舎-第五美英舎)が設置され、1889年(明治22年)にこの建物も駅逓として転用され、1903年(明治36年)の廃止に至るまで開拓期の人や物資の流通、通信に大きな役割を果たしました。
1966年(昭和41年)に、上川地方に現存する最古の建物として旭川市文化財に指定され、1987年(昭和62年)に調査保存のため一時解体されましたが、1988年(昭和63年)に再度復元され現在に至っています。
そもそも駅逓とは、北海道にまだあまり人が住んでいない時代に、開拓のために北海道に渡ってくる人や、旅をしている人に宿泊所として、または人や馬を貸し出したりということをしていた場所で、北海道独自の制度で開拓のために必要とし開拓使が設置したものです。さらに、郵便の業務も取り扱っていました。
このように旭川において、数少ない「忠別太駅逓」「歴史的建造物」:大橋のたもと:所在地 旭川市神居1条1丁目1番30号ですが、今はひどい状況です。
建物は閉鎖されたまま、周りは、全く整備されておらず、出入口も閉鎖されたままです。以前、横にお寺があったのですが、色々トラブルがあったようで(地元の経済誌に何回か掲載されていました)、今は民間のマンションが建ち、境界ぎりぎりまで、建物とか駐車場になっています。
…写真は建物と、

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