作成日:2024/10/19
NHK歴史探訪:戦国ご当地大名シリーズ:山形 最上義光(よしあき)と霞城公園
NHK歴史探訪:戦国ご当地大名シリーズ:山形 最上義光(よしあき)と霞城公園 全て今回の山形行きで見てきた所です。
初回放送日:2024年10月9日 今まで私は、知らなかかった
最上武将は三難所という船の通行を妨げる浅瀬で、これを削り一本道を作ります。渇水期の最上川、水が少ない時期でも通行可能になります。最上にとって、船で交易で莫大な富をもたらしたと思われます。
山形の最上義光!豊臣秀吉の非情な仕打ちに耐え、徳川家康の関ヶ原での勝利を名アシスト、57万石の大大名にのしあがった名将だ。最新研究では180センチを越える大男であることや、超一流の歌人であることも判明している義光。トレードマークの鉄の指揮棒で戦う姿に、これを見れば義光ファンになること間違いなし?の45分!
駒姫という義光の娘は、東国一の美女と噂されるようになります。運命を左右したのが、秀次との縁談がきっかけでした。豊臣との関係を安定させるためにも断るわけには行きません。
最上義光歴史館
15歳のとき、嫁いだ直後の駒姫の姿が残されています。写真のガラス乾板です。嫁いだばかりなのに尼の姿をしています、いったいなぜ?
1595年、衝撃の事態が起こり、秀次が謀反の疑いで追放、切腹させられたのです。秀次の妻子ら30名ばかりを処刑するという暴挙に出ました。都に着いたばかりで対面もしていなかった駒姫にも向けられました。義光の必死の訴えもむなしく処刑されました。尼の姿の駒姫、弔うために義光が書かせたのでした。義光の不幸が続きます。妻の大崎御前も急死、後を追って自害したのではないかと言われています。「秀吉を見限った大きなきっかけとなったと思われます」
写真は、NHK歴史探訪:戦国ご当地大名シリーズ:山形 最上義光から、霞城(かじょう)公園の中にある、山形城跡、

山形県立博物館=今回の放送と関係がないと思いますが、

義光が使っていた鉄の棒、

最上の記念像:二本の馬の足で大きな像を支えています。
