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作成日:2022/12/11
北大法学部の思いで 基本科目は全て履修しました



法学部に進んでからは、弁護士等の法的資格者とか外交官等の公務員も想定して基本科目は全て履修しました。民間の就職しか考えない学生は、「優」が取りやすい科目ばかりを取る学生もいましたが。

履修した基本科目は、憲法T・U、民法5科目全て(ゼミも民法が中心でした)、刑法T・U、商法T・U、民事訴訟法、行政法 他

他は、政治学、夏休みの集中講義で国際私法、国際公法、隣の学部の経済学概論、労働法その他です。労働法は、教授が保原喜志夫先生だったかと思います。

労働法は半分興味本位で受講しました。それが今、一番関係が深い科目となりました。(民法も関係が深いこともありますが)

また今の業務でも、民法の知識も非常に役立っています。(なぜなら例えば、労働基準法は、民法の特別法です。つまり、労基法にない部分は、本則の民法に準拠います)

さらに、先輩とか本州の大学の法学部を卒業して北大で勉強している方々で組んでいる、司法試験に向けての自主セミナーにも参加していました。民法、刑法等のテーマに関し、厳しい指導で、意見を発表するにあたって、「○○と思います」等と答えたら、厳しく注意されました。「○○と思う」ではなく、法的根拠に基づいて、「論理的に説明しなさい」という注意です。

さて私は北大文系に現役で合格したのですが、4年生の卒業を目の前に、弁護士等の法的資格者とか外交官等の公務員の試験に全て落ち、かといって民間に就職する準備もしていませんでした。
私は当時、極端に要領の悪い・世渡りの下手な人間と自覚し、「サラリーマンだけはならない」というのが、唯一の目標でした。

そこで、わざと1単位だけ残し留年し、お金がないので最後の1年は当麻の実家に帰りました。6月〜8月だけ、短期で借りられる下宿を探して札幌に戻りました。弁護士等の法的資格者とか外交官等の公務員の試験とか、最後残した科目の単位取得、全てダメな場合は止むを得ず、民間に就職する活動をしました。

当時、オイルショックで不況でしたが、北大法学部の学生は、東京の大手企業でも人気で、面接に行くと飛行機代等を出してくれました。複数の企業から頂いて、ういたお金で東京での就職に充てました。

結果、大手の全国及び外国に支店のある企業も数社内定し、それらの会社のどれかに行こうと決めていました。ところが、両親は地元の企業に就職することを勧め、私も全国・外国を転勤して回る、「根無し人生は私には向いてない」と、最終的には転勤が地元だけの法人に就職しました。

最後に法学部の最大の思い出は、有志が集まっての「模擬裁判」です。毎年、北大祭の時期=6月に法学部の学生有志が集まって模擬裁判を行っていました。準備期間は9ヵ月くらいはあったと思います。

メンバーは8人だったと思います。私、卒業後に北海道のとある中堅の信金トップ(理事長)までなったS君、東北出身で東北の銀行に就職し・その後札幌で私と同じく社会保険労務士をしているM君、埼玉県出身で50年以上親しくお付き合いしているS君、裁判所の判事になったN君 等です。

テーマは、「大阪空港裁判」をモデルにしました。
1969年12月14日、国営空港たる大阪国際空港(伊丹空港)に対して、騒音公害被害に遭った伊丹空港周辺住民28人が日本国政府を相手取り、1.夜間空港使用の差し止め、2.過去の損害賠償3.将来の損害賠償 を求めて提訴した。
最高裁判所昭和56年12月16日確定判決。

最初の写真は、今補修か何かで工事中のクラーク会館1階の「大講堂」入口です。収容人数が500人以上とのこと。当時、ほとんどいっぱいの学生、札幌市民が参加して下さいました。
エルム会館 大ホール
また別な写真は、昭和49年6月・第21回模擬裁判の冊子(34ページ)の表紙、
模擬裁判 表紙
当時学長だった(と思うのですが)、著名な今村成和教授(行政法・経済法)のコメント =教授は当時、難しいテーマ・裁判である、この事件に関し、度々 アドバイスして下さいました。
今村教授
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特定社会保険労務士・行政書士
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